クローズアップ藝大では、国谷裕子理事による教授たちへのインタビューを通じ、藝大をより深く掘り下げていきます。東京藝大の唯一無二を知り、読者とともに様々にそれぞれに思いを巡らすジャーナリズム。月に一回のペースでお届けします。
>> 過去のクローズアップ藝大
第十二回は、美術学部デザイン科教授で、本ホームページのプロデューサーでもある箭内道彦先生に、令和2年6月、オンラインにてお話を伺いました。
【はじめに】
三十年近く働いたテレビ報道の世界を去ってすでに四年、久しぶりに会う人とNHKの『クローズアップ現代』について話をした後に、「今どうしていらっしゃるのですか?」と必ず聞かれます。「『クローズアップ藝大』をやっています」というと、みんな途端に笑顔になって「えっ? それ何ですか?」と尋ねられます。中身よりタイトルに惹かれてホームページをのぞきにいっている方も多いかもしれません。この企画の生みの親が箭内道彦さん。おかげでクローズアップという言葉が私からいまだに離れないままになっています。
箭内さんは『クローズアップ現代』のゲストとして何回かご出演いただいています。金髪の派手なアピアランス。なんでも前のめりな方なのかと思っていたら、打ち合わせではじっと制作サイドの話に耳を傾けていた姿を思い出します。
SDGsの発信に力を入れていますが、より良い世の中にすることを目的にしたマーケティングで人の行動を変えられるのだろうか、そんなことを考えながらクリエイティブディレクター、箭内教授とのオンライン対談に臨みました。
国谷
箭内さんは「クローズアップ藝大」のプロデューサーです。いつものようにやっていいんですか?
箭内
僕はこのホームページの各コンテンツの一応編集長みたいな感じになっているんで、当分出てこないようにとは思っていたんですよ。「裏方のお前が、一年経ってもう出てくんのか」みたいなのはちょっと恰好悪いなと思ったので。ただ、この一年とこれからの一年を一度国谷さんとちゃんと話したほうがいいなと。普段だとそれぞれの先生を訪ねて、それぞれの先生の魅力だったり人間臭さだったりを掘り下げていただいているわけですけど、このパンデミックの時代に藝大がやらなきゃいけないことはたくさんあると感じていて、国谷さんと話したいなと思ったんです。だから本当は逆インタビューなんです(笑)。国谷
私も箭内さんに聞きたいこと考えてきました。過去のことも、今のことも聞きたい。
箭内
NHKの『クローズアップ現代』が二十三年の幕を閉じて、国谷さんはこれからどうするのかと思っていたら、「あっ、藝大にいた!」っていうのがすごくびっくりでした。そもそもなぜ藝大の理事になられたんでしょ国谷
ちょうど澤和樹先生が学長になられる時に私は『クローズアップ現代』を辞めて、いろんな学校、大学からもお声をかけていただきましたが、最初に声をかけていただいたのが藝大だったんです。なぜ声をかけられたのか不思議でした。
実は、あとでお話ししたら、澤先生が、藝大と社会をもっとつなげたいと。藝大が最後の秘境みたいに世の中と切り離されていてはサステイナブルではない、もっと社会と藝大の接点を増やしたいと思われていたらしくて。ずっと『クローズアップ現代』を見てくださっていて、なにか思われたのでしょうか、声をかけていただいた。
初めてご挨拶に行った時に、とても不思議なご縁があることがわかったんです。澤先生は和歌山ご出身で、私の母も和歌山出身。話をしていたら、「お母さまのお名前は」って聞かれて、「和中(わなか)」っていいますって答えたら顔色が変わった。私の祖父の名前が和中金助というんですけれど、「僕の最初の後援会長でした」って。
箭内
えー、そうなんですね。
国谷
はい。祖父が後援会長。それは全くご本人も知らないで声をかけてくださって。とてもご縁を感じたというのと、それに藝大にはあこがれがありました。私もアメリカの大学でシルクスクリーンなど、いくつかアートの単位を取りました。でも、芸術家の方々は近寄りがたいものがあると思え、東京藝術大学は遠い存在。一方で、『クローズアップ現代』をやっていて、イノベーションや素晴らしい発想など、さまざまな意味で人を結びつけるアートの力をもっと活用しなければいけないということは以前から思っていました。それで、あこがれのところから声をかけていただいたならやるしかない、むしろやってみたいと思いました。素晴らしい先生方がいらっしゃるだろう、人との出会いも楽しみで、そういう場にちょっとでも接点を持てたら学ぶことも多いし、もしお役に立つのならと思いました。
箭内
今国谷さんにおっしゃっていただいたように、その「あこがれの」っていう部分がなくなってきているんです。でも自分が三年も浪人して苦労して入った学校が、いつまでも輝いていてほしいなと思った。だから、自分の小さな力かもしれないけれど、藝大をもっとあこがれの場所にして、だけど、世の中から遠くなるのではなくて、どんどん近づいていきながらあこがれの高さは高くなるようにしたいなと思っている今日この頃なんです。
国谷
アメリカのスタンフォード大学ではアートの分野、デザインの分野は、大学の競争力の源泉になっています。藝大は日本の伝統文化の守り手、そういうところから、非常に革新的なアートマネジメントやインスタレーション、映像もアニメーションまでフルセットで持っています。しかも、人材がそろっています。
箭内さんのおかげで、多彩な先生とお話ししたり、取手や横浜の馬車道など、いろんなところを覗かせていただき、アーティストの方々の頭の中をちょっとだけ見るようなこともできて、少しだけ藝大の一員になれたような気もします。
箭内
まだまだ国谷さんを持ち腐れしているというか、もっともっと活用したいです。
それにしても「クローズアップ藝大」って、よくあのタイトル国谷さんにO Kいただけたなと思ってます。
国谷
皆さんから受けてます。大受けですよ。タイトルをお話しすると、よく思いつきましたね、と言われます。
箭内
「クローズアップ藝大」の狙いは、藝大の人間力っていうのか、いろんな面白い人がいる宝庫だってことを外に伝えたいというのはあるんですけど、それ以前に、国谷さんに藝大を見てほしいということから始まったんです。同時に先生方が国谷さんと会うことで国谷さんに「開発」されていくと思ったんですよ。単純に過去から現在までの自分の話をするだけじゃなくて、国谷さんからのド直球だったり変化球だったり、するどい突っ込みによって、もう五十代六十代になっている先生方だけど、何か新しい発見だったり、自分の考えが初めて言葉になったりするわけです。そういうことがあると、藝大が絶対もっと強くなるなと思ったので、国谷さんを刺客としていろんな先生のところに差し向けているんですよね。栄光をただ語っていただくんじゃなくて。
『クローズアップ現代』に呼ばれて出演した人みんなそうだと思いますが、国谷さんと会う、国谷さんと話すというのはとても楽しいんだけど、自分が今まで経験した知識をただ披露するだけじゃ帰さないぞっていう空気があるんです。国谷さんと話すことによって、新しく自分の中に湧いてくるアイデアであったり提案であったりを得られる番組だった。あの番組を、よく、二十三年間もやってた人がいたもんだなって思うんです。それが、名前が「藝大」と「現代」でちょっと掛詞になっているだけじゃなくて、ああいうボールを藝大のあちこちに投げてほしいなって思った。それが正直な狙いです。
国谷
毎回この人に何を聞けばいいんだろうかと考えさせられます。何度も聞かれたことを伺って、「ああまたか」っていう顔をされないようにちょっと違う切り口でお聞きしたいとは思っているんですが。反対にプロデューサーから見て、なにか注文はありますか。
箭内
むしろもっとぐいぐいいって大丈夫だと思います。藝大の、本当に「秘境の暗闇」の扉を開けてもいいんじゃないかと。
国谷
えー、どういう部分ですか。耳打ちしていただくといいかな、これからは。
箭内
面白い先生がたくさんいますからね。一カ月に一回がちょうどいいペースだと思いながら、どんどんいろんな先生と会ってほしいなとも思っちゃいますね。
国谷
皆さん、言葉をお持ちです。作品や演奏に至るまでの思索というか、プロセスの中で「言葉」と向き合っていらっしゃる。ジャーナリスティックな部分も多いとの印象です。作品を自分の中で作り出すまでに、たくさんの人にインタビューしたり、イメージを刺激する場所に行ったり。何をテーマにしたらいいか、そのアンテナが極めて先進的です。
小沢剛先生(美術学部先端芸術表現科教授)をインタビューさせていただいた時に、小沢さんはかなり前に、チベットの山の上でプラスチックボトルが転がっているのを見て、それを大量に集めて絨毯を作った。今のプラスチック問題が起きるずっと前に、そのことに気が付いてメッセージを発信しようとしていた。社会はまだ気が付かないうちにです。それで先生にその絨毯はどこにいったんですか? って聞いたら、どこにいったかわからない(笑)。
山村浩二先生(大学院映像研究科アニメーション専攻教授)はひたすら一人で、コンピュータもほとんど使わず、手描きをされています。インタビューで忘れられないのは、子どもの頃に宇宙の果てはどこにあるんだろうと考えたことをいまだに思いながら、どうしてこの世界は生まれたのか、どうして僕たちはここにいるのか、それを知りたいと思ってアニメーションに向き合っているとおっしゃっていたことです。創造する中で何か根源的なことを知りうることがあるのではないかと。宇宙と対話しながら制作しているとおっしゃいました。
箭内
世の中から見ると浮世離れというか、ちょっとわからないことをやっている人たちっていうレッテルを貼られがちですけど、今の時代、いろんなことが立ち行かなくなってきて、その中で考え抜いて手を動かし続けている。アートっていうのは何か額に入れて飾っておくだけのものじゃなくて、世の中が変わっていく、良くなっていくことのヒントがすごく変なところに入っているかもしれない。で、それが真ん中で議論をしている人たちには発想できないものだったりする。社会とアートをつなげることの重要性って、そこにある気がするんですよ。この数百年の中でアートというものが今の時代に特に必要であることは歴然としているわけです。
僕がよく言うのは、例えば二つの勢力が対立していて、町内会でもいいですけど、町内の壁の色を塗り替える時に、「赤くしたい」という勢力と「黄色くしたい」という勢力があって、多数決で赤になるか黄色になるか、もしくは仲良く赤と黄色を混ぜて、ちょうど間のオレンジ色に塗っておきましょうとなるんだけど、そうではなくて、第三の答え、アートの答えだと、「赤でも黄色でもなくて青のほうがいいかもしれない」と言ったり、もしくは「この壁とっちゃったほうがいいかもしれない」と言えたり、「壁をはがして違うものを作りませんか」と言えたりする。それがアートだと思うんです。アートはこの行き詰まった社会を変えていく大事な鍵になるはずです。アートを作っている側の人たちは、「俺はそんなこと考えてないよ」って言うかもしれないけど、そこを国谷さんだったり、僕だったりが、社会とつなげる役割を果たすのが大事かなと思います。
国谷
私は気候危機など地球の持続可能性について取材や啓発活動をやっていますが、箭内さんがおっしゃったように社会が今後立ち行かなくなるのではとの不安が高まり、一方で分断やギスギスした世界的な対立も起きています。日本社会においても、自分が心地よい人たちとだけ付き合うような感じがどんどん強まっている。そうなると、本当に大事な課題の解決ができなくなるんじゃないかと危惧しています。しかし、アートは、そういう中にあっても心をやわらかくしたり、人と人とをつなげていく力を持っていると思います。
国谷
新型コロナウイルス感染拡大の影響で、若手の芸術家たちが厳しい状況に陥っていますけれども、箭内さんの藝大の教え子や卒業生からも「大変だ」とか「辛い」といった声が届いているのではありませんか?
箭内
はい。本当に困っている卒業生たちは、一刻を争う、一日も早い支援を求めているという状況です。澤学長の強い思いもあって、「新型コロナウイルス感染症緊急対策 東京藝術大学若手芸術家支援基金」が立ち上がって、クラウドファンディングは七月三十一日(二〇二〇年)までです。いろんな意見があると思うんですけど、学長が、「走りながら考えるタイプです」っておっしゃっていましたけど、しっかり検証も、走りながらしていきたいと思っています。もっとたくさんの人にこの基金のことを知ってほしいし、拡散してほしいし、支援もしてほしい。芸術家って自分のこと以外に興味がないのかなって思う場面にも遭遇して、ちょっと寂しいとも思っちゃうんですけど、やっぱり自分たちの教え子であったり仲間であったり、未来の芸術を紡いでいく、つないでいく存在がここで途絶えてしまったらと考えたら、皆さんも放っておけないだろうなとは思っています。
国谷
先生方にインタビューをさせていただくと、若い頃に苦労された方も多くいらっしゃいます。非常に貧しかったけれど仲間たちといろんなトライアルをしてだんだん自分の道を切り開いていったっていう方もいらっしゃるので、もしかしたらその苦しいことが芸術家にとっては当たり前というか、「俺たちだってみんな明日はどうなるかわからない中でがむしゃらに切り開いてきたんだ」という思いを持っている方も少なくないと思いますが。
箭内
それはわかりますね。実際に、「苦労が肥やしになる」という部分もあって、芸術とともにそういうことを乗り越えていくことは、絶対にアーティストの表現にすごい力を与えているはずです。
ただ今回は、それ以上に若手芸術家たちから、もう続けることができないとか、経済的に限界であるという声が多く集まっている。そういうさまざまな人たちの「今を救う」という部分と、これからの新しい日常の中で「東京藝大が何を用意するのか」という部分をスタートさせるためにも必要なプロジェクトだとは強く思いますね。
国谷
そうですね。?分たちが作った、創造したものを表現する場がなくなるっていうのは?番?いことではないかと思います。今おっしゃったようにそういう中で藝?が?意するものの?つとして、集めた資?で新しい表現の場を模索することを始めています。財政的にも?学として豊かではない中で、幅広く?えてもらいながら、新しい表現の場を作っていくことにチャレンジをしようとしているわけです。
箭内
お金が集まることももちろん大事なんですけど、気持ちが集まるというか、思いが重なるというか、多分それが一つ未来への大きな力になると思います。この基金を、「そんなのやってたの? 知らなかった。もう七月で終わっちゃった」みたいなことになるのだけはもったいない。
今日もずっと、広告とかメディアに関わる仕事をしている同級生たちに片っ端から電話していました。芸術に対する、自分たちの後輩たちに対する、あとは学校に対する思いですよね。
国谷
藝?は、卒業したらあまり?学への思いがない、というふうに言われる方もいますが。
箭内
そんなことないですよ。鼻にかけるのは良くないですけど、やっぱり誇りには思っていると思いますよ、みんな。
国谷
卒業生のネットワークが強固な他の大学と比べると、ネットワーク自体が希薄なので、こういった場面になると、個人の力と個人のネットワークに頼るしかないですよね。
箭内
本当に、いい意味で「個」が確立している。「個」を確立させるための大学ですから、群れがちではないですよね。だからこそ、若くて本当の意味で孤立してしまっている芸術家たちに、支援が必要な時なんだろうなって思います。
国谷
そうですね。?番?配しているのは、だんだん藝大の志望者が減ってきているということです。苦しい社会状況の中で芸術を勉強しても生活していけないのではと親御さんが思ってしまったり、あるいは本?も、将来が不安になり受験しなくなる。そうなれば?本のクリエイティブの層が薄くなってしまいそうで残念です。藝?にとってもチャレンジする?々がたくさんいないと、この切磋琢磨する雰囲気は維持されないですよね。
箭内
若手が大変だってことをアピールするのは必要なんだけど、それによって、「ほら、やっぱり芸術って食べられないじゃない」という空気が広がって、志望者が減ってくるってことは、藝大のためにはもちろん、未来の芸術のために大きな損害?損失になってしまいますよね。
国谷
藝?自身が、?分たちは必死で??懸命リスクを冒してやっているってことを?せないと、お?は簡単には集まらないのではないでしょうか。
箭内
はい。自分から電話したことなんて一度もなかったのに、「初めて電話来たと思ったら金の話かよ(笑)」って言われました。「三〇〇〇円からでも支援できるよ」って伝え回って。
国谷
サポートが拡がっていくようにするためには、まだまだ試行錯誤が続きますね。
国谷
箭内さんは広告の世界に身を置いていらっしゃいます。広告は、人の行動や考え、ものの見方を変える力を持っています。私たちがこれから向き合う課題、例えば気候危機の問題、二酸化炭素を減らさないといけないとか、SDGsが目標にしている、もっと包摂的にならないといけない、格差をなくさないといけないなど、世界には課題が山積みです。
利己主義と利他主義ってありますよね。ちょっと青臭すぎて申し訳ないんですけど。
箭内
青臭くいきましょう。
国谷
人間は利己主義なことには割と乗ってくる。トランプ大統領にも多くの支持者がいて、利己主義的な空気が広がっています。一方でグレタ?トゥーンベリさんのような若い人たちが出てきて、利他主義、未来の地球のことを考えて行動しないと間に合わないと主張しています。今、全ての人が影響を受け、特に弱い人が痛みを受けるコロナ禍の状況が起きているのに、やはり利己主義のほうが勝ちやすい。どうやったら利他主義的なことをアピールできて、人を動かせるのか。私はテレビの仕事を辞めてから藝大に関わるのと同時にSDGsを積極的に啓発してもう四年になります。かなり認知は高まっていますけど行動まではなかなかつながらない。どうしたらいいんだろう、何をどう訴えていけばいいのか。
私は言葉の力を信じていますが、言葉も軽くなってきて、たくさん流行語はあるけれど、すぐ消えていく。どうやったら人にアピールできるのだろうかと、悩みながら歩んでいます。
箭内
本当にそうです。
国谷
箭内さんが作った広告のコピー「NO MUSIC, NO LIFE.」じゃないですけど「NO PLANET, NO LIFE.」ですから(笑)。
箭内
「多様であらねばならない」とか「分断を避けなければならない」とか、「ねばならない」という話って、頭では賛同できても、そうじゃない自分に気が付くだけなんですよね、僕自身もそうですけど。広告の手法では、「多様でなければならない」じゃなくて「多様だったとしたらどんなに素敵なことなんだろう」っていうことを見せる。買わなければいけないじゃなくて、買ったらこういう気持ちになったり、こういう素敵なことが始まったりしますよっていう入り口を作るのが広告なんです。世の中が、「ねばならない」っていう重い足かせや、重荷を背負って、悲壮感の中で新しい時代を作っていこうっていうのは、気高くはあるけど難しい。多様ってものに触れてみたらこんなに面白かったっていうことが、もっともっとあればいいと思う。
逆に言うと、良くないこと、例えば、SNSの中の誹謗だったり中傷だったり、それも「それを止めなさい」っていう広告じゃなくて、止めたらどんないいことが起きるかっていうことをちゃんと約束しなくちゃいけないなって思いますね。広告の頑張りどころだけど、なかなかそういうところの場面には広告的な考え方はまだ入ってきていないですよね。
国谷
新聞を見ても、SDGsがらみの広告が溢れています。自分の企業イメージを高めたい大手企業がSDGsに向けて一生懸命やっていますという広告をたくさん出している。でも企業の宣伝にはなるけど本当に人を動かすっていうところまではいっていない。人ってどうしたら動くんだろうって、ずっと思っています。箭内さんを見ているとご自身がものすごく動いていらっしゃる。モチベーションがすごい。箭内さんみたいな人がたくさん出てくればいいんですけど。
箭内
現在このSDGsの状況下で、新型コロナウイルスがやってきて、今いろんな人たちが「アフターコロナ」という言葉を使って、この後の社会やこの後の世界のことを論じ合っています。どうなってほしいという希望?願望も含めてだと思うんですけど、なんか変わらないような気もしますし、変わるような気もする。国谷さんはどう見ていますか?
国谷
変わらないと大変なことになるのですが、おっしゃられたように、喉元を過ぎればで、変わらないまま進んでいく可能性も高い。日本って、なかなか世界の空気、世界で起きていることに対する感度が弱い。
ニューヨークのクオモ知事が使った「Build Back Better」という言葉、BBBが盛んに言われています。「前より良くしよう」と。でも日本では、どういうビジョンを共有して何に向かっていくのか、何がベターなのかという議論がない。サステイナブル=持続可能な方向に変革するためにはビジョンの共有が必要です。よほど企業や私たちが危機感を持っていなければ、変わらない。
EUは自分たちが新しい世界のルールメイキングをしたいと思っている。ビジョンを作りルールメイキングをしていくことによって競争力につなげるという明確な戦略、ポストコロナの時代に競争力を高めようっていう戦略があるんですね。
箭内
先ほどから「分断」という言葉が出ていますけど、分断が非常に今進んでいますよね。僕と国谷さんは今、直接会えてないし、分断の壁は以前より高くなっている。この分断が進んだ中で、例えばアメリカでは「Black Lives Matter」運動が起きたり、一方で人種の問題が起きたりしています。これが進んでいくと、変わろうとする人たちと、変わりたくない人たちと、どっちでもいいけどまあ変わらないやっていう人たちの間にまた新しく分断ができるような気がしていて。この分断をどう解いていくか、壁をどう壊していくかも、僕ら、アートも含めて、ものすごく大きな課題に今なり始めているなと感じます。
国谷
感染症に関しても二〇〇〇年代に入ってから、SARSもMARSもエボラ出血熱もジカ熱も鳥インフルエンザも、四、五年おきに世界中に蔓延するような危機が瀬戸際で留まっています。
感染症の蔓延が起きる危険があるというリスクは前から言われていたけれども、そのリスクに耳を傾けずに今回こういうことになった。気候危機についても科学的なデータや科学者の警告はずーっと前から出ています。新型コロナパンデミックから学ばなければならないことは、きちっとこういうリスクに対して向き合って対策をとり、乗り越えていくこだと思うんです。
今、箭内さんがおっしゃったように、変えたいっていう人と、もっと目の前のことが大事で変えなくていいっていう人たちの分断が起きています。でも社会が変わる時は、何パーセントかの人たちがビジョンを持って変えたいと思うようになれば、急速に変化が起きると私は思っています。その何パーセントの人たちをどう作っていくか。
箭内
瀬戸際っていう言葉が合うかどうかわからないですけれど、本当に数年前から大きな過渡期が始まっていて、いろんなものがいい意味で壊れ始めていることを感じます。そして今、最後の頑丈だったものが壊れるか壊れないかにきていて、希望的観測をすれば、その先にきっと何か新しいことが始まるんじゃないかと思っています。確かに国谷さんが言うように、ティッピングポイントをどう作るか、どう人々が力を合わせるかってことですよね。
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