「藝大生の親に生まれて」は、芸術家の卵を子に持つ親御さんにご登場いただき、苦労や不安、喜怒哀楽、小さい頃の思い出やこれからのことなど、様々な思いについてお話をうかがい、人が芸術を志す過程や、生活の有り様について飾らずに伝えます。
──お父様は本学のデザイン科の卒業生なのですね。
(父) はい。現在は日本画を描いています。また、教員として三重大学の教育学部で美術教育を教えています。
私が学生として在籍していた当時の藝大のデザイン科は、時代の先端というか、一線を走っているアーティストが先生として多く在籍していましたので、そういう環境に一緒にいさせてもらうことがすごく面白かったことを覚えています。教授や先輩がやっていることを見て覚えるというか、肌で覚えていくという感じでしたね。そんなところだったので、ぼーっとしていたら何もしないで大学生活が終わってしまうという感じでした。
──守弘さんは、子どもの頃から芸術の道に進みたいという気持ちがあったのですか?
(守弘) 昔から学校の図工の授業で絵を描いたり、土をいじったりすることが好きでした。そのうち、父が通っていた藝大に行ってみたいなと思うようになって。ただ、最初は工芸とか陶芸に絞っていたわけではなくて、単純に藝大に行きたいなと思っていました。
──小さい頃の守弘さんはどんな感じでしたか?
(父) 親バカ発言をさせていただくと、表現がおもしろい子どもでした。何か風景を見たときの表現などが、ちょっとほかの子どもとは違うなと(笑)。言葉を話すようになった頃からそうだったので、家内と語録などを作っておこうかと話していたくらいですね。
──芸術の道に進んだのは、やはりお父様の影響があったんですかね。
(守弘) それはあると思います。自宅の隣にアトリエがあるんです。子どもの頃からそこで一緒に絵を描いたりしていましたので。
(父) そういう環境や接点がないと、なかなかこの世界に足を踏み入れるのは大変なのかなと思います。でも、3年くらい真剣にやればある程度この世界に入っていけるんじゃないですかね。音楽だと小さい頃からの英才教育とかが必要なのかもしれないですけど。
──守弘さんが具体的に藝大を意識したのは、いつ頃ですか?
(父) 高校を選ぶときに、彼が美術の専門コースがある高校を探していたので、そういう道に進みたいのかなとは感じていました。
(守弘) 実際に、美術コースがある高校に行きました。高校では陶芸はやっていませんでしたが、金属系の工芸や油絵をやったりしていました。
──なぜ陶芸の道に進まれたんですか?
(守弘) 単純に、これまで一度もやったことがなかったからですね。あとは、大学受験の段階で初めて立体構成をやったときに、粘土に触れる機会があって。そのときに絵を描くよりも立体をやっているほうが楽しいなと感じたからです。
(父) デザインの場合は頭が先行する部分があって、実在しないものを作るというような側面があるんですけど、工芸の世界は、実際に手と頭がリンクしていく世界じゃないですか。彼の場合、黙々と淡々とものづくりをしているほうが合っていそうだったので、そういう道を選択したのかなと思いました。
──お父様としては、守弘さんが小さい頃から美術の世界に進んでもらいたいという希望はあったのでしょうか。
(父) 自分がそういう世界に進んだので、なんとなくはあったと思うんですけど、基本的には好きなようにすればいいと思っていました。それよりも、浪人が長かったのでモチベーションが続くかなということは心配していました。
──何年浪人されたんですか?
(守弘) 4浪です。
(父) 僕も2浪していますが、そこから先のモチベーションは僕よりもはるかに強かったのかなという気がしています。
(守弘) 予備校では意外と4浪の仲間が多かったので、「なかなか入れないね」みたいな話をしたり(笑)。そういう仲間と一緒に頑張れたのがモチベーションだったかもしれないですね。
(父) 落ち続ける感じは私も知っているのでよくモチベーションを保てたなとは思います。
──受験勉強の間、お父様はアドバイスをされたりしましたか?
(父) …してないかな?(笑)
(守弘) たまにちょっとはあったかな。
(父) デッサンを見たりはしていましたけど、工芸の立体構成は経験がなかったので。藝大で助手をやっていたとき聞いていた内容と変わっていたらアドバイスも何もないなと思って、あまり口出ししませんでしたね。
──現在4年生ですけど藝大での生活はいかがでしたか?
(守弘) 学ぶことが多すぎて、4年では学びきれないという感じですね。まだまだ分からないことだらけです。とりあえずは来年度から大学院へ進んでさらに学びたいと考えています。
陶芸研究室での岡田さんの作業場
──藝大を目指している高校生や浪人生に、もしアドバイスなどがあればいただけますか?
(守弘) 受験のためということではなく、いろいろな作家やアーティストの作品などに触れて、刺激を受けて吸収するというのが、今思えば一番大事なのかなと。予備校に通っていると、そこにある参考作品などにしか影響を受けなかったりするんですけど、もっと外を見ることで、ほかの選択肢が見つかるかもしれないなと思います。
(父) 普通の受験勉強とは違うよね。
──お父様から、芸術の世界を目指すお子さんを持つ親御さんへアドバイスはありますか?
(父) 何年浪人しても許してあげてください(笑)。私はアトリエを構えているので、近所の方からそういう美大受験についての相談を受けることがあるんです。たいていの親御さんは、高校から大学には現役で入学しなければと思っている。でも、そこはもっと余裕を持って見てあげてほしいなと思います。
もうひとつ、藝大とほかの大学で違うところが就職ですね。一般の大学生は大学を出たらすぐに就職しなければいけないと思っていて。でも藝大で過ごしていると、別に就職なんてタイミング次第という感じなんです。もっとのんびりやればいいと思うんですが、それは美術関係の業界にいる我々の感覚で、普通のご家庭の感覚としてはストレートで大学に入ってほしいし、大学を出たら就職してほしいという感覚になるので、藝大を目指すのならその部分を理解してあげてくださいという話はしますね。
──現役合格にこだわらなくてもよいと?
(父) 現役で合格しないほうがいいような気もしますね(笑)。入学してからきついと思います。高校では美術は授業くらいでしかやらないですよね。それに対して、浪人した学生は丸々1年間絵や美術のことだけ考えてきたので、入学した段階で意識が全然違うんですよね。現役で入ってきた学生は、高校では一番絵がうまかったかもしれないけれど、藝大に入ったらもしかしたら一番下手かもしれない。そのコンプレックスやプレッシャーでドロップアウトしてしまう可能性もあります。
(守弘) 浪人することで、美術や芸術の基礎を学んでから大学の4年間を経験できているというのは、とてもよかったと思っています。その経験がなくいきなり1年生のときからやっていたら、何にもわからないまま4年経っちゃうのかなと思うときはありますね。
──将来の進路などは考えていらっしゃいますか?
(守弘) いやぁ(笑)。作家になれればいいなとは思いますけど、なかなか厳しい世界なので。どこかの陶芸教室で講師をやりながら作家活動をするというのが、現実的かなと思っています。
(父) とっとと海外に行けばいいのにと思いますけど(笑)。日本は美術だけで食っていくことはかなり厳しいと思うんです。一方、海外では工芸はあくまでも職人として見られてしまう。その辺を突破するためにも、見てきたほうがいいんじゃないかと思うんですけど。中から見ることも大事ですが、1回は外から見たほうがいいかなと思います。
(守弘) 海外行ってみたいですね。
(父) 好きなようにやっていくしかないんですけど、せめて自分で食べられるようになれというのが、守弘へのアドバイスですね(笑)。やりたいこととやれることはちょっと違うので、がんばってほしいですね。
撮影:永井文仁