業績?略歴?主要著作
バーバラ?B?スミス氏の民族音楽学における業績
山口修
バーバラ?B?スミス氏がピアニストとして1940年代から50年代にかけて示し、いまなお語り継がれている完全主義は、民族音楽学の教育者?研究者としても貫かれている。この学問の初期の時代に彼女が進路を変更したのは、ハワイに住み始めたことがきっかけだった。すなわち、文化的多元主義のハワイ共同体に属するハワイ大学でピアノと音楽理論の講師として勤務し始めた彼女は、文化相対主義の大切さを意識するようになった。アジア音楽を研究し知的な理解を深めるためには「演奏」に挑戦することが大いに役立つと主張した草分けの一人であった彼女は、自ら日本や韓国、中国の音楽に熱心に取り組んだ。アジア系の移民から手ほどきを受け、アジアから訪れる音楽家たちに接し、さらに自らアジアを訪れて宮城道雄に弟子入りするといった努力を重ねて、高度な演奏技術を習得した。このように自らを厳しく訓練する精神は、民族音楽学を専攻する学生たちに対しても向けられ、学業のみならず社会的な人間関係をも重視する姿勢が弟子たちに継承されている。
スミス教授がハワイ大学の音楽課程を多様化しようとしていた初期には多くの反論があったそうだが、めげずに充実させることができたのは「多様な共同体が育んでいる異なる文化価値」を重視する姿勢を保ってきたからに他ならない。その「共同体」は大学をとりまく地域社会はもちろん、ハワイ州全体、さらにオセアニア各地、アジア諸国などにも及んでいるのが大きな特徴である。これら大小のレヴェルの共同体との双方向的な関わりがスミス教授の業績に彩りを添えていて、大学の利益のためだけでなく、大学とは無関係の一般市民のための活動にまで及んでいる。このような彼女の業績が北米各地の大学に与えた影響が大であったことも指摘しておこう。ちなみに、現在のハワイ大学マーノア校の英文名称に使われている「逆さコンマ」や長母音記号は、ポリネシア系のハワイ語で音韻論的に弁別特性として機能する声門閉鎖音や長母音を正確に記そうとする20世紀後半に高まっていった文化相対主義の表れのひとつであり、スミス教授の業績と無関係ではない。
スミス教授の出版業績のなかで最も重要なもののひとつは『音楽教育家ジャーナル』の世界音楽特別号(1972年10月)編集であり、同年に単行本としても公刊された。この仕事がもつ意義は、高校や単科大学での音楽教育に大きな影響を及ぼしただけでなく、社会の音楽愛好家一般にさえ手の届くものを提供したことにある。それまでの民族音楽学がこの学問を専門とする人たちだけに向けられていたといっても過言ではない。こうして彼女は、世界諸民族の音楽を米国ほかの諸国の人びとが味わうことに貢献した。業績のなかに視聴覚資料編集の成果が含まれていることにも注目されたい。
スミス教授は、世界伝統音楽学会(ICTM)の初期のころからの会員であり、国際的な連携活動を推進することに熱心だった。この学会はまさに世界中の音楽を包括する大規模なものであるため、特定の研究対象や方法を共有する人たちに限定した研究グループStudy Groupsの活動を公認している。そのなかのひとつ「オセアニア音楽?舞踊研究グループ(SGMDO)」は、スミス教授が1984年から2001年まで牽引したおかげで、最も活動的なグループのひとつとなった。たとえば、グループのメンバーのためのサーキュラーを編集し、みずからの手作業で郵送する労を惜しまなかった。その後、別の人たちが引き継ぎ、いまではネット上のメーリング?リストを最大限に活用するかたちになっていて、頻繁に、そして効率よく通信がなされているが、その基礎を築いた業績もここで指摘しておこう。また、彼女が米国の民族音楽学会(SEM) や、カレッジ音楽学会 (CMS)ほか多数の機関にたいして、学術的のみならず運営上の支援をするためのパトロンとなっていることも知る人ぞ知る事柄である。
スミス教授は研究者?演奏家?教育者?支持者として世界音楽、とりわけアジア太平洋の音楽の理解と繁栄に献身的にライフワークとして努めてきた特筆すべき人である。
(大阪大学名誉教授; 大阪芸術大学客員教授)
バーバラ?B?スミス氏略歴
Born: Ventura, California, 10 June 1920 カリフォルニア生まれ
Academic Education 学歴
Pomona College with music as the major: BA, magna cum laude 1942学士
Eastman School of Music, University of Rochester: M.MUS (in Music Literature) 1943修士; Performer’s Certificate in Piano 1945 演奏免許
Private Study of Asian Instruments アジア楽器習得
Japanese koto (w/ Kay Mikami, Honolulu) 1955-1962, (3 months w/ Miyagi Michio, Tokyo) 1956; taiko -- Iwakuni Bon Dance (3 months w/ Goichi Fukunaga, Honolulu) 1959; Okinawan koto (6 months w/ Otoyo Maeshiro, Honolulu) 1961; Chinese yangkum (3 months w/ Chang Hoon, Honolulu) 1959; Chinese zheng (briefly w/ Liang Tsai-Ping, Taipei) 1960; Korean piri (2 months at predecessor to National Classical Music Institute, Korea) 1960; Korean changgo (periodically w/ Halla Huhm, Honolulu) 1960-63; Korean kayagum (briefly w/ Hwang Byongki, Seoul) 1962 , 日本の箏、太鼓、琉球箏、中国の揚琴、韓国の篳篥、杖鼓、伽倻琴
Professional Appointments 職歴
Eastman School of Music: faculty of piano and theory, 1943-1949 ピアノおよび理論講師
University of Hawaii (University of Hawai‘i at Mānoa): Ass’t. Prof. 1949-, Assoc. Prof. 1953-, Prof. 1962-, Prof. Emerita 1982—. ハワイ大学勤務。現在、名誉教授
East-West Center: Senior Fellow 1973; Director of programs for Pacific Islanders: Women’s Leadership in Music 1967; Ethnomusicology 1973, 1975, 1976 シニア?フェロー;東西センター太平洋諸島プログラム等担当
Visiting Professorships: Ewha Womens University (Seoul, Korea); Ohio State Univ.; Univ. of Arizona-Tucson 客員教授勤務
Performances: 主要演奏歴
Piano (with orchestra and ensemble): 1940s and 1950s in New York, Honolulu & Korea;
koto (soloist with orchestra): Miyagi Michio’s setting of Yatsuhashi Kengyo’s Midare (from her own transcription of an old recording for koto and western orchestra) at UH in 1959 初期にはコンサートピアニストとして協奏曲、室内楽、歌曲伴奏。後に箏ほかを演奏
バーバラ?B?スミス氏主要著作
1) 辞典類項目担当 As Author for Articles in Dictionaries
Die Musik in Geschichte und Gegenwart. Basel: B?renreiter Kassel. 1962 and 1994 editions.
The New Grove Dictionary of Music and Musicians. London: Macmillan. 1980 and 2001 editions.
The New Grove Dictionary of Musical Instruments. London: Macmillan. 1984.
The Garland Encyclopedia of World Music, Vol. 9, Australia and the Pacific Islands. New York: Garland Pub., Inc. 1998.
2) 学術雑誌等への寄稿 Articles in Scholarly Journals, etc:
“Indigenous and Non-Indigenous Researchers: Implications for content and method in the study of music in Oceania.” International Musicological Society: Report of the Twelfth Congress. 1981.「文化担い手側と外部研究者-オセアニア音楽研究の内容と方法に関わる含意」
“Variability, Change, and the Learning of Music” (Charles Seeger Distinguished Lecture). Ethnomusicology Vol. 21, 1987.「音楽の可変性、変化、そして学習」
3) 編集者として(ハワイ、東アジア、世界音楽関係) Editor
The Queen’s Songbook / Her Majesty Queen Lili‘uokalani. Honolulu: Hui Hanai.1999.
Musics of Hawai‘i: “It All Comes From The Heart”. Honolulu: State Foundation on Culture and the Arts—Folk Arts Program. 1994. [Special assistance/content accuracy]
Music in World Cultures. Washington, D.C.: Music Educators National Conference. (Originally published as the October 1972 issue of Music Educators Journal with its articles re-published the same year as a separate book.) 1972. [“Field Editor”]
The Garland Encyclopedia of World Music, Vol. 7, East Asia: China, Japan, and Korea. Eds. Robert Provine, Yosihiko Tokumaru, and J. Lawrence Witzleben. New York and London: Routledge. 2002. [“Consulting Editor” for entire volume]
4) 視聴覚資料制作(ハワイ、韓国、世界音楽) Producer of Audio-Visual Materials
Enchanted Evening in Micronesia. Performed by The Micronesian Club of Honolulu at the University of Hawaii. (7”LP). Honolulu: Micronesian Club. 1961. [Advisor, technician, and author of liner notes]
Music From Korea: The Kayakeum Performed by Hwang Byongki. (LP recording) Honolulu: East-West Center Press. 1965. (Reprocessed and renamed: Kayagum: Byungki Hwang, Early Recording. (CD) C&L Music. 2001. [Music Editor, LP]
Ula No Weo [a film teaching the Hawaiian hula “Ula No Weo” as performed by Eleanor Leilehua Hiram]. A project of the University of Hawai‘i at Mānoa, Committee for the Preservation and Study of Hawaiian Language, Art, and Culture. Honolulu: Cine Pic. 1965. [Co-Director with Dorothy Gillett.] (Film reprocessed to videotape 1980 and to DVD 2006)
The JVC Video Anthology of World Music and Dance, English Language Edition,
Smithsonian/Folkways Recordings. 1990. [Advisory Committee for English edition]
このページは、2010.6.6 にアップデートされました。
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