国谷
石川県でお生まれになって、そもそも彫金に魅せられたきっかけは何でしょうか。
前田
うちの実家は元々判子屋さんでした。だから僕は自分の判子は自分で彫るし、金属で判子を彫って売ったこともあります。ですが、僕が小学生の頃に父親が宝飾品を扱うようになったんです。宝石の本がたくさんあり、問屋さんが出入りし、宝石の名前とかもいろいろ耳に入ってくる。大学の進路を考える時、僕は物を作るのは好きだったんで、美術系。それもジュエリーをやろうと思って彫金を選んだんですよ。当時はネットもなかったから、高校生の時に全国の美術系大学に往復はがきで、「彫金のコースはありますか?」って出したら、あったのが東京藝大と金沢美大だけでした。で、実家から近い金沢美大の彫金に入ったんです。
国谷
お父様は判子屋さんをやりながら宝飾品も。
前田
そうですね。宝飾品の販売とか。ちょっと修理できるぐらいの道具はありました。いまだに、父親が使っていた道具もありますよ。
国谷
この道具自体も美しいですよね。
前田
僕は大学からこういう工芸を勉強したので、道具は一切なかったわけです。だから学生の時は何とか間に合わせていたけれど、30歳くらいからはだんだん買うでしょう。だから、死ぬ時になっても収支はとれないと思います。この仕事に就いて、払ったお金のほうが多くなるんですね。これをまとめて誰かに売れば別ですけれど。この中には自分で作ったものもあるんですよ。
iPadの中には様々な写真が。渦巻き状の作品は中国のアーティストが前田先生のために作ったもの。
?
国谷
小さい時からアートはお好きだったんですか? 何か作っていらしたんですか?
前田
物を作るっていうより、春休みとかに、家にあった画集を水彩絵の具で模写したりするような子どもでした。中学校ぐらいかな。あの有名な、高橋由一の『鮭』を描いたことがあります。藝大大学美術館の展覧会に本物が出た時に、僕が子どもの頃描いた模写の写真を学生に見せて、「これ誰の絵だか当ててみろ」って言ったら、学生は模写だって気づかなかった。
国谷
すごい! 緻密に丁寧に模写されたんですね。
前田
そういう体質はあります。
国谷
すごくものをよく見るっていうか、観察力もおありになった。
前田
はい、その時は遊びでしょうね。観察という点ではカメラも好きなんです。昔はよくずっとカメラを持ち歩いて、気に入ったものは写真に撮っていたんですよ。ある時期から、カメラを持って公園とか行くと、変な人だと怪しまれる風潮になったので、やめましたが。
国谷
最近は、不審者かもしれないって思われますからね(笑)。カメラではどのようなものを撮るのですか。
前田
気になったものをなんでも撮ります。植物、隅田川の花火、取手の近く、川の写真、お寿司のコハダ、飲み残しの氷、袋田の滝。
こいうところからイメージを抽出していくんです。「テーマ」はなんですかとよく聞かれますが、特にないんです。こういうものの積み重ねです。研究室にも、気に入ったものをたくさん置いております。なにか気分が上がってくるものを。
国谷
こういう日常から発想を得ていくのですか。
前田
発想もですし、作るエネルギーもです。
こうやって、人と話すことでも、作る意欲が生まれてきます。エネルギーが高まると良い発想ができるんですよね。発想だけ求めても、果てしない砂漠で金貨を探しているようなものです。発想っていうのは、その人間が持つエネルギー、力の強さだという気がするんですよ。
国谷
現代社会において、美術の表現が変化してきていますし、社会的なメッセージを発信することも多くなってきています。先生は、現代社会の中で表現されることについて、また、美術表現の社会的な影響について、どのようにお考えですか?
前田
人間は「手を動かして物を作る行為」で、人間らしく生きることができる。それが人間の原点だと思っています。そういったことが少なくなってきている時代だからこそ、人間の一番核になるような人間らしさが大切だと考えてます。誤解を恐れず言うのであれば、面白いものを作ろうと、レーザーとか使って外注して作ることもできる。でも、なぜ、敢えて手で作っているかというと、それを自分の行為として、人間の行為として大事に思うからです。
色々な社会的な問題を考えるにしても、すごく社会的に活動する人もいれば、僧侶のようにぐーっと精神世界の中に入って考える人もいるじゃないですか。僕は、個人の行為として、入り込んで昇華したものを作っていきたいと思ってます。
それは、社会的に活動しないということではなく、「手を動かして物を作る行為」としてアピールしていきたい。行為そのものがアートの一部になっていると思うんですよ。作り続けることで皆に認識してもらい、それが社会的な影響を及ぼしていくと考えてます。
国谷
人間が人間である理由「手を動かして物を作る行為」の部分にこだわりたいっていう。
前田
人間と動物の違いは、人間は物を作ることができる部分。そう考えると、やっぱり作るっていう行為がすごく大事です。全て手作りであれば、天然であれば正解という訳ではなく、その加減は難しいわけですが。
例えば、天然のうなぎと養殖のうなぎとどちらがいいでしょうか? そこに超えられないものを感じますし、今の時代だからこそ、伝統技法にこだわることができます。様々なことに試行錯誤をしながら、こだわれる部分にこだわります。人が手で作る所作は美しいんですね。作る過程そのものがアートになる。その美しさにこだわっていきたいですね。
国谷
学生たちは何人ぐらいいるのでしょうか。
前田
少数精鋭主義ですね。彫金で学生30人ぐらいで、常勤教員2人、助手2人、非常勤2人の6人体制ですよ。かなり細かく学生に対してやれるからすごくいいと思いますよ。
最初1年生に鉱石の標本を見せるんです。金属って、工業製品みたいな板とか棒とかそういうものを思い浮かべるじゃないですか? そうじゃなくて本当はこういう天然素材で、ここから抽出して、人間の手でいろいろ性格の違う金属が生まれているよと教えています。土とか漆だとかは天然素材だけど、金属は工業製品みたいなことを言われるのは嫌だから。
鉱石の標本
国谷
今の学生たちは、先生の頃と比べてどうでしょうか。
前田
個性豊かですね。どんどん価値観も変わってきています。社会の仕組みも違うから。僕らの頃は作家になりたいとすると、就活もしないで適当にやっててもなんか生きていけたところがあるじゃないですか。今の子は作家になりたくても、とりあえず一回就職しようとします。
リサーチの仕方、情報の入れ方も違いますね。インターネットが当たり前にあり、何の抵抗もなく、そこに載っている写真や情報をそのまま鵜呑みにしているところがあります。ネットに載っている写真って、誰かの感性で完成された写真なんですよね。でも世の中の人にとっては当たり前になっている。昔の人って、動物を作る時はその動物を飼って観察したわけです。情報も、僕が彫金の技法なんかをネットで見ると、あ、これ違ってるなというのがいっぱいある。それを信じてしまう。
国谷
昔の絵師は鶏を描くために鶏を飼ったり、朝顔を描くために朝顔を育てたりしていましたものね。
前田
鍛金の教室では変形絞り実習で動物もモチーフにしますが、この前は犬を借りてきて、学生たちにデッサンさせていましたから。やっぱり、そうありたいですね。
国谷
この大学ならではの特徴がありますか?
前田
この学校のすごいのは、僕が最初ここに赴任した時に感じましたが、いろいろな資料が身近にあるわけです。かつて田舎では写真集でしか見られなかったものが実物で見られるんです。今の学部2年生が、基礎課題を習いますが、普通の人たちが習いたくても習えない情報だとかやり方をすぐ習えるんですよ。そういう背景と教員がいるから。だから逆に言うと、普通の人が苦労して探ってやることを、当たり前のように最初に学ぶ。しかもそれが、デッサン力だとか造形力が優れた子が入学しているから、その次のステップ、個人の表現のステップに、すっと行けるんですよね。普通だったら覚えるだけで終わっちゃうのに。
国谷
かえる飛びがバーンと出来るのですね。
前田
大学の130年の歴史を感じます。
工房では学生たちが黙々と作業中
国谷
先生にとって教育に必要なことは何だとお考えですか。
前田
やはり、学生だけでなく、見る目を育てるというのは大切です。狭い範囲の教育だけではなく、作家として創作活動を同時にやりながら、様々な人に向けて発信していきたいと思います。
いろんな幅広さを持った目で、やっぱり作家だからある程度絞り込んだ作品を作んなきゃいけない訳ですけど、自分のポジションは鳥瞰的に見られるような客観性と主観性と両方持たないと、やっていけません。作り手と発表する場と見る目と、そういうことを同時に行う。だから、学生だけじゃない。いろんな人に対する教育とか啓蒙活動が必要になってきますね。
【対談後記】
金槌を握って創作を続けてきた先生の親指の付け根は見たことがないほど筋肉で盛り上がっていました。“人間と動物の違いは何か。人間は作る。人間の根本にある大事なことは作る行為、だから物を作っている”と対談で繰り返し強調されていたのがとても印象深かったです。
そんな前田先生の少年時代についてお聞きすると、剣道に打ち込み、中学高校時代は友達とロックバンドを組んでドラムを担当。“自分はずっと叩くことが好きだったのかな”と笑いながら語ってくれました。
三味線や長唄もたしなんだ経験を持ち、大のカメラ好き、料理好き。
最後に小さな鉄瓶に沸かしていたお湯で中国福建省の竹藪の中でとれた野生のお茶をご馳走になりました。
【プロフィール】
前田 宏智
美術学部工芸科教授
専門は彫金。
1961年、石川県七尾市生まれ。1986年、金沢美術工芸大学大学院美術工芸研究科修士課程産業デザイン専攻修了。金沢美術工芸大学講師、金沢卯辰山工芸工房金工工房専門員を経て、2007年より本学美術学部准教授、2019年より現職。
1995年、美術工芸振興佐藤基金によりイギリス、デンマーク、ドイツ、フランス、オランダにて研修。
2018年、第65回日本伝統工芸展日本工芸会総裁賞ほか、受賞多数。
撮影:新津保建秀