クローズアップ藝大では、国谷裕子理事による教授たちへのインタビューを通じ、藝大をより深く掘り下げていきます。東京藝大の唯一無二を知り、読者とともに様々にそれぞれに思いを巡らすジャーナリズム。月に一回のペースでお届けします。
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第十六回は2016年から本学のトップを務める澤和樹学長。ヴァイオリニストとして演奏活動もしています。学長としての6年間を振り返りつつ、未来への展望についてお話を伺いました。
【はじめに】
23年間担当したNHKの報道番組「クローズアップ現代」を離れることが公表されて、まっさきに声をかけていただいたのが藝大でした。
初対面の席で、出身が私の母と同郷の和歌山、最初の後援会長が私の母方の祖父だったことがわかり、学長も私も飛び上がるほど驚きました。藝大との不思議な縁を感じたことを思い出します。
ヴァイオリニストを目指して藝大生として学び、藝大で教え、そして藝大の運営に携わってほぼ半世紀。澤先生は大学の課題をどのように捉え、どのような想いで学長の職を務めてきたのか。3月いっぱいで日比野美術学部長にバトンを渡すことが決まった今、どのような想いを持っておられるのかお聞きしました。
国谷
今日はお時間をいただきありがとうございます。私は2016年から理事を務めさせていただていますが、それ以前は藝大とはほとんど縁はなく、まさか私自身が東京藝術大学の理事を務めるとは思ってもいませんでした。なぜ私が声をかけられたんだろうか、何ができるんだろうかと相当悩みましたが、そのときに澤先生は、「もっと藝大は社会とつながらないといけない、だから社会とのつながりを深められる人に理事になってほしい」とおっしゃってくださいました。そもそも学長に就任された当初、なぜ藝大は社会とのつながりを深めないといけないと思われたのでしょう。
澤
『最後の秘境 東京藝大』(新潮社刊)で著者の二宮敦人さんに「最後の秘境」と言われているくらい、本当に一般の方からすると藝大は遠い存在と捉えられているんだろうなと思いました。そこで何が起こっているのか興味はあるけど、でも進んでそれを見に行こうとはしない。それはひいては日本では芸術が人々から遠い存在で、ごく一部のお金と暇のある人たちだけのものだと思われているのかなと。
それともうひとつは、もっと学部とか研究科を飛び越えて学生も教員も交流すべきだなと思いました。自分自身を振り返ってみても、道路を隔てた美術学部へは、食堂に行くときぐらいしか向こうの門をくぐったことがない。それは宝の持ち腐れだと思いました。
国谷
東京音楽学校と東京美術学校が統合されて東京藝術大学になってから80年近く経ちますが、それぞれの分野に卓越した芸術家たちがいて、それぞれの分野の中で優れた芸術家たちが育ってきました。なぜそれではだめだと思われたのですか?
澤
ひとつには受験者数が減っていることがあります。以前は、学科説明会とかオープンキャンパスを開催しなくても、良い学生が入学しており、その危機感は全くありませんでした。美術の方も減ってきているとはいっても、人気のある学科は入試倍率が20倍近くあったわけです。でも2004年に法人化されて、そのあとぐらいから10年間で約30%減りました。やっぱりそれは、少子化だけでなく、せっかく二浪も三浪もして藝大に入学しても卒業した後の活躍の場がないことと、すごく世の中の景気が悪くなって余裕が無くなったことが原因かと思います。他の芸術系大学でも学生数が少なくなって存続が危ぶまれているという話も聞いていたので、これは日本を代表する芸術教育機関の藝大が手を打たないといけないと思いました。学内でも同じような意見があり、早期教育プロジェクトが始まりました。
芸術を志す人材を増やすためには、やっぱり芸術をみんなが認めて大事にするようにならないと、この傾向は止まらないでしょう。だから科学技術と芸術の両方で新しいイノベーションを起こさないと、どんどん藝大の生きる道は閉ざされていく。そこはAMS(Arts Meets Science)やCOI(Center of Innovation)拠点などの取組みで、自分なりに頑張ってきました。
国谷
東京音楽学校?東京美術学校の創立以来130年以上にわたり、日本の中で突出した芸術家を生み出し、あるいは伝統文化などもきちっと守ってきた藝大が、それだけでは立ち行かなくなっている。芸術を志す人も減ってきて、芸術を志しても生きていくすべがないと思う人も多くなってきている。そういう社会状況の変化に強い危機感を覚えられたのですね。その対策のひとつが早期教育プロジェクト。藝大の教授陣が全国に行って子どもたちにレッスンをする。AMSは芸術?音楽と科学技術が出会う、人間がよりよく生きるウェルビーイングの領域の研究ですね。あとCOI拠点ではテクノロジーを使ってイノベーションを起こしていく。この3つは学長になられてからの三本柱といいますか、6年間で主導されたシンボル的なプロジェクトと捉えてよろしいでしょうか。
澤
そうですね。それまでの藝大にはあまりなかったものです。
例えば早期教育にしても、藝高(音楽学部附属音楽高等学校)は60年以上前からありますけれど、中学生以下の子どもたちの教育に藝大が口を出すなんてタブーでした。私立学校の領域を侵すみたいな意味もあって。早期教育というのを藝大が打ち出した時に、ピアニストの中村紘子さんが驚いて電話をしてこられました。でも「それは素晴らしいことだ」とおっしゃっていただいて。やっぱり今、藝大が何もしなければ本当にみんな共倒れになるというくらいの危機感がありました。だから、地方で才能のある子たちを見つけて、藝大に取り込むのではなく、その子たちを励まして、周りが応援するような雰囲気を作らないといけないと。藝大の教授が、「この子は才能がある。どんどん頑張ればいいよ」と言うことによって周りも違ってくると思うんですよね。本当はすごい才能があっても、将来を心配して中学受験のために辞めてしまう。そこがやはり惜しい。
国谷
芸術とは関係ないと思われていた、科学やテクノロジーの分野とのつながりを強化しようと思われたのはなぜですか?
澤
同じ和歌山県出身ということで、谷口維紹先生(東京大学名誉教授、東京大学先端科学技術研究センター フェロー)と知り合う機会があったんです。谷口先生はチェリストのヨーヨー?マとも友達だし、クラシック音楽がお好きで、息子さんもチェリストになっています。谷口先生といろいろお話をさせていただいたのですが、科学と芸術ってすごく遠いところに位置されているようで、歴史的には同じところから出てきている。ピタゴラスにしてもレオナルド?ダ?ヴィンチにしても、科学と芸術は境目のわからないようなところから生まれたはずなんだけれども、それがお互いを専門化することによって両極に行ってしまったような印象を与えています。そこがやっぱり芸術も科学技術も頭打ちになってしまった原因を作っているのではないかというような話を、谷口先生とか西川伸一先生(京都大学名誉教授)とする機会がありました。
国谷
科学も芸術も頭打ちのような状況なのですね。
澤
そうですね。科学の側もそれに関連する理数系だけの頭では発想がすごく画一化するでしょう。ある年代以上の人たちは、科学者でも芸術とか文学にすごく興味を持っている人も多い。でも今の若い人たちはそうでしょうか? 日本の学校教育においては過去30年で小学校?中学校の授業のうち芸術科目が30%削られて、音楽や美術の常勤教員がほとんどいなくなっています。
国谷
美術の先生が音楽を教えているケースもあります。
澤
極端なことが起こっています。日本の科学技術力を高めなきゃいけないということで理数系と英語の科目を増やして、国語とか社会とか、芸術系科目が減らされました。それが実は致命的な決断だったんです。理数系は往々にして答えは1つですし、大学入試も四択のうちの1つを選ぶ。その受験テクニックを中学?高校で習う。正解はこれしかありません、あとは間違いですというような教育が主流になってしまっています。芸術は音楽でも美術でも、下手は下手なりにどこか褒められるところもあったりするわけだけれど、そういうマインドがどんどん削られてきたのだと思います。
だから、自分はこういうところでこういう働きをして世の中を変えたいとか、そういうふうに思っている若者がどんどん減っているのではないかと思います。藝大生は、ヴァイオリニストとしてカーネギーホールに立ちたいとか、オーケストラで弾きたいとか、かなり具体的な将来を描いて入学してくるけれども、世間一般の若者はそういうものもなくて、自分の偏差値で入れそうな大学に入り、就職をしてもそこの企業で何かしたいというんじゃなくて、有名企業に入ってそこで言われたことをやる。そんな感じになっている。今、企業側もものすごくそういうことへの危機感を持っているらしくて、リベラルアーツ(教養教育)を重要視しています。例えば、将来自分の国を変えたいと思いますかと質問をすると、東南アジア諸国は80~90%がYesと答えるけれど、日本は20%以下で、欧米の先進国に比べても半分くらいだそうです。
国谷
これこそ危機ですよね。
澤
ええ。だから藝大がコミットできるのはそういうところだと思うし、企業とか国の方に働きかけて一緒に日本の人づくりを担っていければと思います。今までは藝大に入学してくる人材を磨き上げて世の中に出すことを考えていたけれど、藝大に来ない人たちも含めて、芸術教育を通じて国を立て直さないといけない。
私が藝大の学長あるいはヴァイオリニストとして国に言ってもなかなか動いてもらえません。経済界とか産業界から、教育が必要だとかそこに芸術が必要だとか言ってもらったほうが効果的だと思います。
国谷
東京大学も芸術創造連携研究機構を作って藝大の先生方が教えに行っていますよね。画一的な発想をしていても新しいものは生まれません。技術的なことだけではなく、ビジネスモデル全体を変えていくなど、いろんな発想で変革を生み出すことが社会全体に求められています。
少しだけ脱炭素の話をさせていただくと、経済活動を維持しながらCO2を排出しないような暮らしを実現するには、よほどのイノベーション、よほどの変化が起きないと難しいんです。そういう本当に危機的な状況にもかかわらず、日本の多くの若者が自分たちは社会を変えられると思っていないとか、自分たちは政治に参加したくないとか、そういう統計データが山のようにあります。人づくりは本当に危機的状況で、やっぱり経済界の人たちが声を上げないと変わっていかないというのは、私も澤先生と同じ問題意識を持っています。
リベラルアーツ(教養教育)のニーズは若者だけではなくて、経済界もそういうまったく違う考え方やものの見方ができる人材を欲しているようです。一昨年に企業の経営者を対象に行われた「藝大出前講座」についても、もっとやって欲しいという声がありました。箭内道彦先生(美術学部デザイン科教授)がよくおっしゃるような、学生に宿題を出すと四十五人いたら四十五通りの答えが返ってくる、そういうところを社会がすごく求めているんだと感じます。それを具体的につないでいく仕組みも必要ですね。
澤
そうですね。藝大の特殊性を求めてなのか、企業とか自治体からいわゆる連携事業の申し出はものすごく増えています。それはありがたいことなんだけれども、やっぱり今までの仕組みのままで受けていると事務組織がパンクしちゃうし、かつての国立大学時代からの体質を引き継いでいるから、常勤教員がそこで汗をかいても業務の一部というカウントになってしまい、収入を得られないわけです。それではやっぱりモチベーションが上がらない。
国谷
そうした状況では連携事業もサステイナブルではないですね。
澤
そこで、社団法人を立ち上げて藝大関連のことを請け負うような仕組みを作りました。かつては社会への還元として、対価をあまり受け取らず引き受けていたところがありました。でも、藝大は超一流だから絶対に満足のいく結果を出しますということできちんと対価をいただけば、教職員もちゃんと収入を得られて、社団法人に利益が出たら大学へ寄付することができる。企業などからの要請が増えてくれば人員を増やせるし卒業生の就業にもつながる。だからそういう形で藝大に期待されているものに応えて、なおかつ大学の自己資金獲得にもつなげようというわけです。まだ始まって1年ちょっとですが、本当にすごい勢いで藝大へのアプローチがあります。
例えば今、花王株式会社と「新佑啓塾」という研修施設に関する協働プログラムを実施しています。当初はどちらかというと建築プラン的なところでのアイデアを求められていましたが、実際にデザイン科の教員や学生が社員さんたちといろいろなワークショップをやってみると、社員さんたちもそれまで気がついていなかったことに気づくことができた。例えばどのように商品の魅力を伝えるかとか、藝大の授業で行っているような感じのことをやったんです。社員7、8人のグループに1人藝大生を入れてみたら、すごくみんな面白がって。それで新しい研修施設のアイデアがどんどん出てきて、それを建築のプランに落とし込んだ。社員さんたちが研修施設を作るということを自分ごととして捉え、自分たちの本当に欲しいものに気づくというね。
国谷
今のお話を聞いたら、そういう試みを我が社でもやりたいと、多くの企業がきっと言うのではないでしょうか。働いている人たちのメンタリティーをもっとクリエイティブにして、今までの殻を破るようなことが求めてられています。
澤
このプログラムに携わった清水泰博理事(美術学部デザイン科教授)が言っていました。もちろん藝大のデザイン科の教員が社員さんたちに指導をしたんだけど、かえって教員たちもすごく勉強になりましたって。藝大生を相手にやるのとはまた違った反応があったようです。
国谷
企業のニーズと藝大のニーズをマッチングさせながら、一緒に連携している。それはとても魅力的です。そういう試みを藝大が行っていることをもっと発信すると、藝大が社会とつながって変わろうとしている、脱皮しようとしていることが伝わるのではないでしょうか。
澤
そうですね。最近は経済界の方から講演などを頼まれる機会も増えてきたので、そういうところでアピールしています。
国谷
澤先生は学生として藝大に入学し、それから教員としても勤め、50年近くこの大学にいらっしゃいます。藝大のことなら何でもご存じかと思ったら、実は学長になってやっと、道路を挟んだ向こう側の美術学部の中身を知ったとおっしゃっていました。何と言うのでしょうか、このサイロというか、蛸壺の深さ?大きさというか。
藝大と社会をつなげる取り組みをいろいろなさってきましたし、いい効果も現れてきていますが、問題は藝大の中にもあるのではないでしょうか。他の学部や学科のことは知らないというような体質を変えて、藝大の持っている力を結集していくことの必要性をすごく感じられたと思うのですが。
澤
かつてと比べると、部局を越えた交流は教員も学生も進んできているとは思います。まだもちろん十分じゃないと思うし、そこは今後も進めていってもらいたいと思います。
国谷
どうしたら進むと思われますか? 澤先生は37年ぶりに音楽学部から学長になられたのですよね。それも何かすごく象徴的だなと思いました。音楽学部の方が代表になって美術学部に物申すというのは、なかなか難しかったのでしょうか。
澤
音楽の方から長年、学長が出なかったというのは、音楽の教員の傾向というか。大学の運営にはタッチしたくない、野心もないし、できるだけそういうところには背を向けていたいという人たちが多かったからだと思います。藝大はもうひとつの上野動物園だという話があって、美術には猛獣が結構いるかもしれないけれども、音楽は草食動物なんですね(笑)。
僕は学長になって最初の3ヵ月ぐらいは全く知らない美術学部を視察して、そこでやっぱり藝大ってすごいなと思いました。これがお互いに知らない状態というのはもったいないなと思ったんです。学部?研究科を越えた交流というのは学長になって一番やりたかったことかもしれないですね。
国谷
でもまだ途中ですよね。
澤
そこは自分としてはちょっと心残りではあるけど、次の日比野克彦先生(現美術学部長)がしっかりやってくれると思います。いろいろ視察して音楽の素晴らしさも体感してもらいたいですね。