大学美術館が1999年に完成した頃、その建築家の話の中で「躙り口(にじりぐち)」という言葉を耳にしたような気がする。
この11月に愈々自分が大学美術館で退任展をさせてもらうことになり、準備期間中の展示フロアーで荷解きを待つ作品と展示計画のイメージの差異に頭をかかえている時に、ふと、そのことに気がついた。入口に戻り下がって全体を観ると人の背丈より少し高い「躙り口」があったのだ。これまで20年も当たり前だった光景が「躙り口」として意味深く目前に現れ、そして私は、潔くその世界に飛び込んだのだ。
「躙り口」について調べてみると、「茶室の小さな入り口のことで、頭をかがめて茶室に入り、まず目に入るのが床の間で四季に合わせた掛け軸がある。なかに入ったものは皆平等であるということが、この躙り口に象徴されている。」とある。六角鬼丈の美術館はその仕掛けがあり、展示の内と外、その意味をより明確にすることができる可能性を持った空間なのだ。
入口の最初の空間には大きな壁を置き、その前に主たる作品が置かれて招き入れる意味合いを持たせることが、これまでの展示でも自然と行われてきた。例に倣って大きな壁と「躙り口」から見た丁度良いサイズの作品を置いてみた。この壁とよく似たものに沖縄の「ひんぷん」がある。庭の入口に石の壁があって来訪者が右を通るか左を通るかで訪ねてくる人の用事の意味がわかるとかで、目隠しにもなりながらその家の存在感を示すもののようだ。人を迎え入れる場に「壁」があるというのは不思議なのだが、それは「壁」を建てているというよりはむしろ「空間」に密度を持たせることで、次の空間へ誘おうとする沖縄独特のもてなし方なのだろうか。
岡倉天心は「茶の本」の中で老子の云う「道」(Tao)について、すべてを包み込む宇宙をつくりだしたもの、「永遠の成長」であると語っている。
この度の退任展「呼吸する彫刻」展は、同フロアのグループ展「内包される温度」と連動し、双方の内容と意識が通じる導線、いわば「道」を計画した。私の彫刻と彼らの彫刻のなかに共通しながらも異なるもの、それぞれが辿った制作過程が生む温度の違い、彫刻という表現が持つ可能性こそが「永遠の成長」としての道であり、未来への願いでもある。
「呼吸する彫刻」展の構成は、六角鬼丈の空間設計に潜む「躙り口」にヒントをもらい、開け放った空間を2つの展示コンセプトを絡め、照度を抑えた丁寧な照明で全体を包み込むことで出来上がった。大学美術館の持つ空間性によって展開していったのである。故人となられた六角鬼丈先生には改めて感謝したい。
上野公園こども遊園地閉館(筆者:右から2人目)
【プロフィール】
北郷 悟
東京藝術大学美術学部彫刻科教授
1953年福島県生まれ。
東京造形大学彫刻科卒業。東京藝術大学大学院美術研究科彫刻専攻修了。
新潟大学助教授、文化庁在外研修(イタリア?ミラノ、ブレラアカデミア美術学校)を経て、1997年東京藝術大学助教授
2004年美術学部副学部長、2009年研究担当理事?副学長?教授、
現在、学長特別補佐?教授、上野文化の杜新構想実行委員会会長。
1970年代より一貫してテラコッタという技法を用いて、「ひとのかたちのリアリズム」を追求。《生命の川》や《水の循環》シリーズに代表されるように、常に「人間の本質」と「自然の摂理」がその彫刻表現の核となっている。