昨年の2月、3月あたりから新型コロナウイルスが流行ったと思ったら、あっという間に世間に拡がり、居座ってしまった。世界中が、コロナ対策に明け暮れ、いまも混乱が続いている。自分が関わる大学美術館や陳列館もコロナ関連の対応でいつにない忙しさだった。
東京含め7都府県に初めて緊急事態宣言が発動されたのが、昨年の4月7日である。それから6月までは美術館は閉館。作品展示も終了し、全て準備が整い、後はオープンするだけという展覧会があったが一日もオープンすることなく誰にも見られないまま終了。各研究室の発表も延期、中止が続いた。
6月後半になるとオンライン上での展覧会というものがぼちぼち現れ始め、7月になると感染者数も落ち着き、状況に変化が現れた。本来ならば、オリンピック?パラリンピック東京大会が開催されていた時期である。大会は延期になったが、関連のイベントのいくつかは残った。日本博に認定されたプログラムの中には実施されたものもあった。大学美術館では、日本博の共催事業である「あるがままのアート-人知れず表現し続ける者たち-(主催:東京藝術大学、NHK、文化庁、独立行政法人 日本芸術文化振興会)」展をなんとか開催することができた。
この展覧会は、既存のアートや流行、教育などに左右されずに、誰にも真似のできない作品を創作し続けるアーティストたち25名の約200点の作品で構成されている。独学で独自の世界を創造するアート作品は、アール?ブリュット、アウトサイダーアートなどと称され、日本の場合には、その担い手は知的障害や精神障害のある人も多く、自宅や福祉施設で創作活動に取り組むため、作品がなかなか世に出てこない傾向にある。だが、その作品は圧倒的な迫力をもっている。共生社会実現への関心が高まる中、障害の有無に左右されず、人知れず表現し続ける人たちが創るあるがままの表現、その作品から垣間見えるアーティストたちの人生を、NHKワールド?Eテレなどで放送中の「no art, no life」、2017年から放送を続けている「人知れず表現し続ける者たち」シリーズの映像とともに紹介したのが本展だ。
コロナ禍での開催のため、入場制限や通常行うようなレクチャーなどの関連事業もほとんど実施できなかったが、それでもライブ配信でオンラインフォーラムを開催し、多彩なゲストと意見交換した。本学学生の参加もあり、なかなかの盛り上がりをみせた。改めて表現とはなにかという問題を考える機会となった。それぞれ作家の表現は、美術的な言葉の定義で逡巡する私たちをよそに強い個性を放っている。その魅力に吸い寄せられるように多くの見学者に恵まれた。展覧会は、この時期としては成功と言える結果を残した。これまでいろいろな展覧会を企画してきたが、もっとも記憶に残るものの一つになった。報告書を昨年末に発刊した。まとめが終わってホッとした。同時にピンチはチャンスというのはホントかもしれないと思った。
大倉史子 《無題》表部分 2003年ー
写真(上):特別展「あるがままのアート -人知れず表現し続ける者たち-」
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【プロフィール】
秋元雄史
東京藝術大学大学美術館 館長?教授
1955年東京生まれ。東京藝術大学美術学部絵画科卒業後、作家として制作を続けながらアートライターとして活動。新聞の求人広告を偶然目にしたことがきっかけで1991年に福武書店(現?ベネッセコーポレーション)に入社。「ベネッセアートサイト直島」として知られるアートプロジェクトの主担当となり、開館時の2004年より地中美術館館長/公益財団法人直島福武美術館 財団常務理事に就任、ベネッセアートサイト直島?アーティスティックディレクターも兼務する。2006年に財団を退職して直島を去るが、翌2007年、金沢21世紀美術館 館長に就任。10年間務めたのち退職し、現在は東京藝術大学大学美術館 館長?教授(2021年3月まで)、および練馬区立美術館 館長を務める。著書に『おどろきの金沢』(講談社)、『日本列島「現代アート」を旅する』(小学館)、『工芸未来派 アート化する新しい工芸』(六耀社)などがある。