新型コロナウイルス禍に世界中が翻弄された2020年度は、私にとっては、藝大のさまざまな「歴史」に向かい合い自問自答する機会でした。そして、大学美術館の様々な活動を再考する機会でもありました。
展覧会:「藝大コレクション」
2020年9月26日、大学美術館本館をつかった所蔵品展「藝大コレクション展2020 藝大年代記(クロニクル)」が始まりました(~10月25日)。
「あるがままのアート」展(2020年7月23日~9月6日)に続いて始まったこの展示は、東京美術学校?東京藝術大学の130年を超える教育?研究の歴史の成果といえるコレクション教材としての古美術の名品、歴代の卒業制作、そして自画像の収集の歴史に焦点を当てるという、いわば直球勝負のような内容でした。本学が所蔵する《絵因果経》(国宝)、狩野芳崖《悲母観音》、高橋由一《鮭》、上村松園《序の舞》(ともに重要文化財)など、我々が日本美術史上の名品と呼ぶものは、美校にとっては学生のための参考資料であり、学生はそれを見て学んできました。同時に歴代の学生が残したもの、つまり「卒業制作」「自画像」も、時に破天荒に、時に過激な学生生活を過ごした歴代の卒業生?在校生の痕跡であり、本学の歴史資料といえるものです。「藝大年代記」展は、これらの歴史資料を網羅的にめぐりながら、美校?藝大の歴史を追体験してもらう企画でした。特に卒業制作?自画像を展示した第2部には、1984年に藝大の体育館で行われたヨーゼフ?ボイスの講演会(そしてそこには、現在の現役教員も学生として参加されていた)で使われた黒板も展示され、よりリアリティーをもって学校史を実感することができたのではないかと思います。
展覧会という場で藝大の歴史を振り返る機会が得られた(そして展覧会を延期せず公開することができた)一方で、美術館の仕事は展覧会だけではありません。むしろ展覧会事業は、多種多様な美術館業務の一部をなしているにすぎません。美術館?博物館の制度の基礎となる「博物館法」が示すように、「博物館資料」を「収集し、保管し、展示して教育的配慮の下に一般公衆の利用に供し、その教養、調査研究…に資するために必要な事業」をするのが、博物館(美術館もその一部です)のなすべきことです。大学美術館では、所蔵品管理業務?展覧会事業とともに、教育活動が大きな柱となっています。そしてその核となっているのが、学芸員資格課程教育です。
学芸員資格課程と美術館実習
学芸員資格課程とは、博物館?美術館の専門職員である「学芸員」を養成するための資格課程で、本学の課程を修了した現役の学芸員も多く輩出しています。このプログラムの最大の特徴は、大学美術館所蔵作品を活用して作品取扱い?展示?照明を学ぶ「美術館実習」にあります。作品を手に持つ、広げる、巻く、紐でしばる、包む、運ぶ、採寸する、照明をあてる…実物への接触を伴ってこそ意味のあるこの実習は、しかし、コロナ禍においては、密になってモノに触れる対面実習という、最も避けられるべきものとなってしまいました。
来校(あるいは来日)できない学生も含めた履修者への公平な対応、モノの接触の消毒の手間の計算など、あらゆる項目を総合的に判断した結果、今年度の実習では資料の直接の取扱いをせず(実物に触れる実習は希望者に限定)、その様子をオンラインで動画配信する形式に変更したのです。
「資料に直接触れながら学ぶ経験こそが重要だ」と考えている私たちからすれば、配信が最上の方法ということはできません。「オンラインで動画配信」と一言で説明するにしても、レンズを通して資料取扱いを見せることの難しさに直面するのは、教員?研究員みなにとって初めてのことでした。しかし、たとえそれが次善手であっても、資料から学ぶ機会をすっかり失うわけにはいかなかったのです。このプログラムの準備、配信の過程で、実習でモノを取り扱うことの意義はなにか?と問い続けながら、今できる可能な最大限のことを、受講者である学生たちに提示することになりました。学生たちにとって100%の充実度?満足度が得られるものであったかどうかは心もとなくもありますが、モノに迫ろうとする心意気を、動画配信画面から感じてもらえていたのなら、いくばくかの意味があった、と言えるかもしれません。
冒頭で「歴史と向かい合い自問自答する機会」と記しましたが、私にとってはこの美術館実習に関わることこそが、歴史との対峙となりました。この実習が行われる直前に、大学美術館で様々な展覧会をディレクションし、学芸員課程を指導されてきた薩摩雅登教授がご逝去されました(1956-2020。享年63歳)。薩摩先生は、大学美術館本館の開館(1999年)をはじめとする美術館運営を精力的に切り盛りされただけでなく、藝大の学芸員課程を含めた様々な教育活動に、文字通り心血を注がれました。そしてなにより、この美術館を深く愛されていました。同僚でもあり、先輩でもあり、友人でもある薩摩さん(と、このようにお呼びしていました)のご冥福をお祈りするとともに、彼の長きにわたる大学美術館への功績を讃えたいと思います。薩摩さんが重ねられた教育活動の蓄積を礎に、私たちも次の礎となるべく活動を続けてゆきたいと思います。
写真(上):「藝大コレクション展2020」展示風景
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【プロフィール】
熊澤弘
東京藝術大学大学美術館准教授。1970年生まれ、神奈川出身。東京藝術大学美術学部芸術学科卒、同大学院美術研究科(西洋美術史)修了。本学美術学部芸術学科助手、本学大学美術館助手?助教、武蔵野音楽大学音楽学部音楽環境運営学科常勤講師をへて、2017年4月より現職。オランダを中心とする西洋美術史、博物館学が専門。日本国内外の美術展覧会にかかわる。主な担当展覧会に「線の巨匠たち――アムステルダム歴史博物館所蔵素描?版画展」(2008年、大学美術館他)、“Japans Liebe zum Impressionismus”(日本が愛した印象派) (2015年、ドイツ連邦共和国美術展示館)。「ミラクルエッシャー展」(2018年、上野の森美術館)等。編著書に『レンブラント 光と影のリアリティー』(角川書店 2011年)、『脳から見るミュージアム アートは人を耕す』(中野信子と共著、講談社現代新書 2020年)他多数。