この3月、「上野の杜」通いにピリオドを打つ時を迎えるにあたり、種々思いが尽きない。とりわけコロナ禍におけるこの2年程の授業体制は、今までに経験の無いものであった。昨年度は前期全てリモートで授業が行われた。私はリモートでは行なわず7月、8月の2ヶ月で前期分の実技レッスンを行った。この2ヶ月間はそこが藝大であると感ずることが出来ない状態であった。自分が学生であった時も含め、藝大構内で歌声?楽器の音が聞こえない。そして何よりも学生がいない。今思い返してもやるせない気持ちでいっぱいになる。その時一年生の一人が入学以来専攻生以外に会ったことが無いと嘆いていた。その時かけた言葉は「自分もこんな経験はしたことがない。但し決して無駄なことではない。いつか貴重な経験をしたと思える時が来る。」これは自分にも言い聞かせるものであった。それまであたり前であったことが、全て思い通りにならない。誰のせいでも無い。振り返れば小さい波はこれまでにも何つかあったが世の中全てがこれ程大きな波を被るのは私の人生で初めてである。若い人たちにとっては「何でこんな目に合わなければならないのだ。理不尽だ。」このような思いであろう。若い人達に我々が出来ることはこのコロナ禍の中でも変わらず、手を差し伸べる事である。ある時は寄り添い、またある時はあえて突き放す。
藝大での学生時代は人生に於いては僅かの時間である。この時間を有意義に過ごすことを学生諸君にお願いしたい。人それぞれで状態は違ってくる。ある者には余暇が必要であるということもあるが、多くの者には後悔の無いようにともなろうか。
先にも述べたがコロナ禍で受けた様々な経験は今は残っていても、いつか薄らいでしまうかもしれない。人間は太古以来このくり返しである。
小さな波はいくつも乗り越えられる。今回専攻実技のレッスンではマスクをして謡い、舞をした。この経験を学生には有意義なものであったと感じてもらいたいと願っている。すくなくとも私には有意義であったから…。
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【プロフィール】
武田孝史
東京藝術大学 音楽学部邦楽科 教授
1954年 東京都生まれ
東京藝術大学音楽学部邦楽科を卒業。1980年より同大学非常勤講師、助教授を経て2007年より教授となり、能楽宝生流の実技を担当している。
宝生流能楽師として6歳より舞台に出演、17世宗家?宝生九郎、18世宗家?宝生英雄に師事しこれまで「道成寺」「石橋」「乱」「翁」「安宅」「卒都婆小町」などの大曲を披演。重要無形文化財総合指定保持者、公益社団法人宝生会常務理事、公益社団法人能楽協会会員、一般社団法人日本能楽会理事。