入学してから30年の月日が流れ、この4月に油画専攻壁画第二研究室に着任した。東日本大震災以降、取手アートプロジェクト《半農半芸》ディレクターとして、取手市内でのアートプロジェクト(#1)や本学の藝大食堂(#2)に関わっていた機会は多くあったが、ここで学生たちと制作するのは実に数十年ぶりとなる。
わたしは取手校地が開校した際の、最初の油画専攻学部1年生。正門はどこにあるのかと緩やかな坂を歩き続けたら、土木工事によって赤土が剥き出しになった土地が広がり、その奥に聳え建つ専門教育棟と蒲鉾型屋根の工房群。現在のような植生が豊かで彩が深く、果樹が育ち、畑がつくられ、里山のような光景ではなく、荒れ野。この荒れ野がわたしの藝大における創作原風景である。
体育の授業では、ゴロっとした石拾いや竹を伐採するなどからグランドづくりがはじまった。単に外構整備が間に合っていなかったらしいが、藝大とは、なんでもゼロからつくるのかと思い込む。
校舎内では、着任したばかりの新任教員のアトリエから爆音が毎夜鳴り響き、専門教育棟1FのEVホールは屋上からの爆滝で水浸しになること度々。人生初。ここで滝に打たれる。雹にも打たれた。びしょ濡れでバス停まで歩く。当時、街灯などもありはしない。歩き慣れると動物の息遣いが語りかけてくる声のように感じる。見えない心地よさ。なにかが少しずつ拡がっていた。
創作どころではない初体験はその後も続き….. リュックの中身は授業や実習で必要となる荷物から、いつの間に山岳仕様。があるとき、なにも持ち歩かなくていいなと。靴も履き捨てる。身が軽くなると大地が急に近くにやってきたから、穴を掘ったり。採り食いしたり。蕎麦を育てたり。迷い犬や鶏を飼ってみたり。利根川河川敷にスタジオをつくってみたり。この地でほんの少し見つけ出した場が自身のキャンバスのようになっていた。
ここで創るために、生きるために、どんなことでもやらなければならない。はじまりのはじまりを鍛えられた時期であった。想い望めば美術は藝大を卒業してからいくらでもできる。自分がなにをしたいのか。なにをもつ者になろうとしているのか。単(ひとえ)の者であり続けていく力を学んでいたと思う。
着任して八ヶ月が過ぎ、壁画研究室の学生や学部の学生とは、やはり大地に鍬を入れ耕しながらつくる。
【プロフィール】
岩間 賢
東京藝術大学 美術学部絵画科 准教授
1974年千葉県生まれ。1997年東京藝術大学美術学部油画専攻卒業。1999年同大学大学院美術研究科修士課程修了(壁画)。2002年同大学大学院美術研究科博士後期課程修了(Ph.D)。2006年より3年間にわたり文化庁新進芸術家在外派遣研究員として中国で研修。その後、ユニオン造形文化財団と吉野石膏美術振興財団から研究助成を受け、東アジアで創作研究活動を行う。2015年から2023年3月まで愛知県立芸術大学美術学部にて准教授。2023年4月より東京藝術大学美術学部絵画科油画専攻(壁画第二研究室)准教授。
これまでに「京都芸術祭」(京都)、「最上環境芸術祭」(山形)、「森のはこ舟アートプロジェクト」(福島)、「越後妻有アートトリエンナーレ」(新潟)、「中国ビエンナーレ」(中国)、「旺山開天ビエンナーレ」(韓国)などで作品を多数発表。
「遠い未来ではない、今から地続きの10年後の未来を多視点な角度から捉え、美術、音楽、ダンス、建築、農学、社会学、生命研究等、様々な分野が領域を超えて共振する新しい世界観?知の場をつくる必要がある」と考え、取手アートプロジェクト「半農半芸」(茨城)、「中房総国際芸術祭アート×ミックス」(千葉)などのディレクターとして、多様な世代と分野の方々との共創プロジェクトや教育プログラムの企画なども行っている。